人気ブログランキング | 話題のタグを見る

英 語 学 習 を め ぐ る“ショート・ショート”五題

はじめに
 本来、“ショート・ショート”とは、短編小説よりもさらに短く、しかも意外なアイデアを盛った話、機知を利かした話のことですが、これから書く話は小説ではないし、意外なアイデアでもない。英語学習に関する一言アドバイスの意味で、要は、短いけれどその分チョッピリ刺激強く、が狙いです。

その1 英語法律文書の書き方
よくいわれることですが、良い英文を起草するには良い和文が前提です。しかし、良い和文が書ける人は稀です。ただし、ここでいう良い悪いは英語から見ての話であって、文学的な美文とか名文のことではありません。英語から見れば、川端康成も志賀直哉も太宰治も皆悪文になってしまうかもしれません。我々の世界でいう“良い和文”とは、簡潔で意味のよく通る、論理的に透明(clear)な文章のことです。現在、そういう理想の文章の対極にあるのが特許明細書ではないかというのが私の感想です。貧しい文章から英文を起草するのは大変で、先ず言葉払いが絶対に必要です。「払い」は「祓い」のことで、和文に潜む悪霊を祓うことを意味します。良い英文かどうかは、言葉祓いがうまくできているかどうかにかかっています。(当ブログ2008年3月号に「翻訳は意訳なり」で同じことをもう少し詳しく書いています)

今、明細書に論理的明晰さが必要といいましたが、それは換言すると、切り込みの深さ、鋭さのことで、それが欠けているのは抽象能力・概念化能力がないということです。最近若い人はまともな文章が書けないといわれますが、それは具体的事象を概念化する力がないということです。幼稚ともいえます。だからだらだらとした文章になってしまうのです。西欧のロースクールには、法律文書はご婦人のスカートのごとくあれ、というアドバイスがあるそうです。人の興味を引くだけの短さと、「本体」をカバーできるだけの長さになっていなければならない、という意味です。ただ、その「短さ」と「長さ」の使い分けが難しいところです。

ここでは思い切った言葉祓いを説きたいのですが、この言葉祓いが特許実務界ではタブーになっています。原文と英語の字面の完全一致の悪弊を破らない限り、明細書を含め日本人の英語法律文書は永久に世界に通用しないだろうと思います。紙面の都合で二例だけあげてみます。

【例1】マーク・ピーターセン著『日本人の英語』(岩波新書)より、
Drag out an antenna, pinching it between one’s finger.
この例はいろんなところで既に引用されています。日本語の原文はありませんが、著者は“アンテナを指でつまんで引き延ばしてください。”というところであろうと、推測しています。著者がこの英文を奇妙と感じたのは子供のときだといいます。著者は書くなら”Pull out the antenna.”で十分だと述べています。なお、著者も指摘していますように、between one’s fingerのfingerが単数形なのも、antennaに不定冠詞が付いているのもおかしいといっています。基本的なミスです。

もし原文が著者の推測通りだとすると、その原文が問題ありということになりますが、この原文を問題ありと見る人はそうはいないのではないでしょうか。英語という眼鏡を掛けて始めて問題と感じるはずです。となると、世の中には、“俺は所長だ、英語はできんが、文章だけはチェックする”と豪語している事務所の所長や会社の部長さんがおりますが問題です。こんなところに特許実務界に存在する“権力と権威の混同”を見る思いです。要はこの文章、“指でつまんで”は不要で、“アンテナを引き延ばしてください”で十分です。明細書を含め日本人の文章にはこの種の無駄な言葉が多過ぎます。

【例2】「外国で購入された特許品を修理して転売した場合、特許権の消尽になるかが法律上問題である。」
 国際消尽論を解説した文章の一節です。私なら以下のような英語にします。
 Whether the refurbishment of a patented product first sold abroad constitutes a permissible repair or an impermissible reconstruction will amount to be a serious legal issue.
原文に「修理して」とありますがこの「修理」は、「被告主張するところの修理」の意味ですのでそのまま”repair”とは訳せません。「修理」が”repair”であることは誰でも知っていると思いますが、そこに落とし穴があります。特許文書ではTOEIC900点でも危険といわれる所以です。原文にある「消尽」が英文にはありませんが、first soldが代用しています。「消尽(exhaustion)」という抽象的ないい方は避けて、permissible repair or impermissible reconstructionと具体的に書いています。これが、“翻訳とは意訳”の意味です。「修理」を「再生(refurbishment)」とすればすっきりします。「再生」は「修理」と「生産」の上位概念です。原文でも“修理”と引用符をつけて特殊な意味であることを暗示しておいてもいいでしょう。

【例2】は、知財一般に関する文書の英文起草の難しさを示しています。貧しい英語法律文書が外国にばらまかれて対外的に日本の特許実務者の品位と価値を落としていると思っています。そういう現実をもっと真剣に考える必要がありますが、企業も事務所も目前の損得や納期に追われてそれどころではありません。つくづく人材不足を痛感します。

その2  “留学で人生を棒に振る日本人”
栄陽子著「留学で人生を棒に振る日本人」(扶桑社出版新書)は、大いに考えさせられ本です。この本に登場する日本の親たちは、外国にさえ行けば英語が上手くなれると錯覚している日本人を代表しています。この種の留学感覚は、特許実務界にもあります。外国(特に米国)へ行くことが一つの箔付けになっています。米国に行って急に英語読解力(会話力ではない)が増したなどという話は聞いたことがありませんし、そういう実績を見せてもらったこともありません。国会議員にもよくある外国留学という偽看板に騙される人が多いということです。中小企業の社長によくあるのですが、社員にアメリカ帰りがおりますから、彼に(または、彼女に)英文明細書を書かせますとか、チェックさせます、と平然という人がいるのは驚きです。著者の栄さんも力説しているように、大事なことは、「英語を学ぶ」ではなく、「英語で学ぶ」です。「何を」が大事で、そのためには外国に行く前からすくなくとも確実な英語基礎力をもっていなければなりません。

その場合の英語力は、世の親達が考えている会話力ではなく、議論のできる英語力、文化が語れる英語力であり、中心は読解力になります。その読解力、外国に行っただけでは養成できません。私自身が見てきた帰国後優れた読解力を示した人は、実は、外国に行く前からそういう実力をもっていたのです。要は、本の読めない者は外国に行っても無駄です。特許実務界にも物見遊山気分で外国の特許事務所を回ってきただけで仕事が取れると考えている人が多いのですが、そういう人達は著者栄さんのいう世の親達のレベルです。

その3  英検1級問題に挑戦
平成6年の晩秋でしたが、当時担当していた特許英語教室の受講生の一人が帰り際に、平成6年度秋期の英検一級検定試験問題について質問にやってきました。提示されたのが次に示す問題で、本人の言によれば英語の域を超えているので対処できなかったのだそうです。流石、英検一級だけのことはあるな、というのが実感でした。
***********************************************************
【問題】次の文章の内下線部分を英文40語程度で要約せよ。
【注】ここでは下線が出ませんので【      】で囲んでおきます。

チャーマーズ・ジョンソンは、何を、だれが、どれだけ生産するかといった決定を市場メカニズムに委ねるシステムを英米型の特徴として市場合理的システムを呼び、経済発展のためには積極的に市場に介入することを辞さない計画合理型の日本型システムと対照をなすものとして示したのである。

 【それではなぜ、英米とくにアメリカでこのようなシステムが発展したのであろうか。
おそらく、アメリカが建国の当初から移民国家であり、風俗、習慣や宗教を異にする人々によって構成されており、成文法を中心とするルールによる統治が不可欠であり、日本の行政指導のようなシステムは不公平と受け取られ、機能し得なかったからであろう。】

翌日、こんなところでどうだろうと次の訳例を彼女にファックスしたのが私の記録ファイアルに残っています。
【訳例】America was founded with a variety of immigrants differing in customs, habits, and religions, and therefore the State required written statutory controls over the nation. Under such circumstances the Japanese-type administrative control system was thought to be unfit because of a possible inequality and possibly resulting administrative malfunctions.

その4  高度な内容の英文とは
私は今まで再三英語の講読が大事、といってきましたが、講読する内容も大事です。確かに手当たり次第の乱読も悪くはありませんが、それとは別に、頭を鍛える意味で、また、文化の深層を探求する意味で、高度な英語論文や記事も読まなければなりません。特許の世界でいえば、知財学者の論文や判例になります。今、手許に若い同業者から読むよう勧められた”Ex Post Claiming”という学者の論文がありますが、58頁あります。冒頭はこうなっています。

“The claims of a patent are often compared to the fences of real property. But unlike real property, these fences can be moved. I call this “ex post claiming.”
(特許のクレームは、よく不動産の垣根にたとえられる。しかし、不動産と違って、クレームという垣根は動かすことができる。私(著者)はこれを“事後的クレームの創設”と呼んでいる)

この論文は米国での事情についての論評ですが、日本でも最近、特許前あるいは特許後のクレームの補正や訂正が安易に考えられています。この論文はそうした風潮への警告と読めます。補正だの、訂正だのと特許実務家はいとも簡単にいいますが、“Where has the inventor gone?(発明者は一体どこへ行ってしまったのか)”ということです。出願の時点で発明は確定し、特定されていたのでなかったか、という疑問です。ここで思い出すのは、西欧に昔からある伝統的な幽霊物語”The Vanishing Hitchhikers(消えたヒッチハイカー)”のことです。特許実務界には、”The Vanishing Inventors(消えた発明者)”というミステリーが存在します。いずれにしても、こうした風潮が、着手金欲しさの事件屋の横行につながらなければよいのですが。

本テーマ“高度な英文”に戻りますと、東大教授の斉藤教授は、近著『これが正しい!英語学習法』(ちくまプリマー新書)のまえがきで “行くに径(コミチ)に由らず”という「論語」の一節を引用されています。これは大道を歩めということで、大道とは現在の“楽しく英語を学ぶ”風潮に対する警告で、その骨子はしっかりした講読力の涵養だと説いておられます。斉藤教授が最初にあげられている問題を借用します。
Pablo Picasso’s artistic career demonstrates how uniqueness and originality emerge as a result of long and arduous efforts made primarily within a pre-established framework of tradition and convention.

この英文は大学一年生向けに斉藤教授が作られた英文随筆の一部で、学生達が頭を悩ませながら読むことを想定して書いたと説明されています。擬人法の訳がポイントのようです。

斉藤教授の言葉にある“楽しく英語を学ぶ”は、現在の小学校の英語や街の英会話教室の雰囲気がまさにそれです。確かに、“楽しさ”がなくては長続きしませんが、我々の求める“楽しさ”は小学校や会話教室で見るあのにぎやかな“楽しさ”ではありません。意味が違います。

そこでもうちょっと高度な英文に当たることにします。手許に『高等英文解釈研究』という本があります。著者は成田成寿旧東京教育大学教授で昭和26年(1951) 9月1日研究社初版発行のものです。定価はなんと180円。しかし、大学新卒者の初任給が17,000円程度であった時代の180円です。内容は十九世紀から現代までの英米の随筆を主に集めてあります。著者は、「序」で次ぎのように提言されています。

“…英文の場合では、自分で英文を書くことも必要である。書いてみると英文の妙味なり、特色なりがわかる。英文解釈をする場合にも、あることを、英語ではこういうということを考えながら読むと、英文の特色もわかるし、同時に英文を書く助けになろう。英作文にしろ、会話にしろ、なんでも、まず英文解釈で考え、摂取することが土台にならなければならぬはずである。(以下略)”

では具体的にどんな英文が高等なのか、101ある問題文の第一問は次のようです。
It would not, I think, be doing justice to the feelings which are uppermost in many of our hearts if we passed to the business of the day without taking notice of the fresh gap which has been made in our ranks by the untimely death of Mr. Alfred Lyttelton. It is a loss of which I hardly trust myself to speak, for apart from ties of relationship, there had subsisted between us for thirty-three years a close friendship and affection which no political differences were ever allowed to loosen or even to affect. Nor can I better described it than by saying that he, perhaps, of all men of this generation came nearest to the mould and ideal of manhood which every English father would like to see his on aspire to, and if possible to attain.
【解説】時代は1913年。イギリスの一国会議員の随想の一節で、33年来の政友であったリトルトン氏の時ならぬ死(untimely death)に遭遇したときの寂しさを書いています。議員席にぽっかりあいた席 (fresh gap)を無視してその日の日程をこなす(do the business of the day) としたら、心の最上位にある感情を正当にあつかうことにならないのではないか(仮定法になっている)、と書いています。以下は略しますが、この英文は著者が“高等英文”と銘を打つ通り日本人にはむつかしく感じます。格別難解な言葉が使われているわけではないのにむつかしいのは何故なのか。書き物は思想または感情の表現ですが、欧米人の思想の着想過程や把握の仕方、あるいは、感情の感受の仕方が日本人とは異なっており、それがそのまま表現されるからだと思います。上の”doing justice to the feelings which are uppermost in many of our hearts…”などは、むつかしい言葉は一つもないのに理解しにくい表現です。意訳が必要となります。こういう文章を理解するには単なる英語力だけでは追いつかず、深い洞察力や理解能力が必要になります。英米に留学すれば毎日こういう英文に聴覚的にも、視覚的にも遭遇するわけですから、留学には暗黙の適格性が要求されることが分かります。英語週刊誌”TIME”が読めないのも同じ理由からで、”TIME”に限らず身近な論文や判例についても同じことがいえます。分からないと面白くありませんから長続きしません。これが、英文が読めないという状態です。思うに、英文の講読力は、英語力だけではなく総合能力ということです。

その5 若い人に贈る言葉
この『高等英文解釈研究』という本は、昭和30年代初頭、会社への通勤の京都・大阪の国電(現JR)の中で読むことにしていたものですが、難解で、一問を理解するのに片道では片付かず、帰途、すなわち往復を要したことがざらでした。こんなことを書くと気障な自慢話に聞こえるかもしれませんが、私など旧世代にとっては、青春時代のこうした“教養主義”は当たり前で特別のことではなかったと思います。タイムやニューズウイークのような英文週刊誌を読む者や、電車の中では必ず英字新聞を読むという会社の同僚も多くいました。それが今は携帯電話の時代です。一日中携帯電話を眺めていて力がつくのだろうかと心配になります。知力、体力がある若い時はいいにしても、年とともにやってくる知力・体力の衰えにどう対処するのでしょうか。これを時代の差で片付けていいものかどうか疑問に思っています。私が今もたずさわっている特許実務という仕事を思いますと、あの頃の努力は無駄ではなかったことを痛感します。このことから、若い諸君にいえることは、
Heaven helps those who helped themselves in their youth.
ということになります。意味するところは、「若い時の努力は必ず報われる」です。この一句は“天は自ら助くる者を助く(Heaven helps those who help themselves.)”をもじったもので、whoの動詞helpが過去形になっている点と、in their youth(若い時に)という副詞句がついている点に注目ください。

最近つくづく思うことは、人生の勝負は、第一期は40才台に、第二期は60才台に、そして第三期は70才台にくるということです。その時に天が助けてくれるためには”helped yourselves in your youth”です。今、“勝負”といいましたが、それは知力だけでなく、体力も大いに関係します。若い時の体力の浪費・消耗のつけは、知力の衰えより数段早く出ます。知力がまだまだあるのに体力がもたないという例を数多くみます。要するに、人生は長いようでもすぐに終末期はやってくるのです。
                               (弁理士 木村進一)
                     「特許評論」は登録商標(第4556242号)です。

by skimura21kyoto | 2008-12-25 15:28  

<< 二次的著作物-小説『推定無罪』の場合 >>