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より良き英文明細書作成のために-中間日本語の重要性

1.“中間日本語”とは
以下の【実例1】は私が作成した明細書の公告公報(旧法)の冒頭部分で、【実例2】の英文はこの日本出願を基礎に優先権主張出願された英国特許の冒頭部分です。両者は対応した箇所ですが、英文は和文に比べ簡潔になっています。両者の間に介在したのが中間日本語です。英文が和文に比べて短いのは、簡略したのではなく、発明の動機(背景)を説明する情報としては“英文では”これで十分と判断した結果です。この作業が“編集(editing)”です。特許翻訳の現場では大事な作業ですが、企業は嫌います。“中間日本語”とは、編集の成果物です。

2. “編集”は嫌われる。
なぜ嫌うのか。企業、特に大企業の場合渡される外国出願用和文原稿は稟議を通った書面で、重役を含め十数個の印鑑が捺印されています。編集は、そうした書面を大幅に削ったり、追加したりするのですから、重役が認証したものを外部の一介の翻訳者が変更するとは何事ということになり、時に担当者から怒り狂った声でお叱りを受けることがあります。一旦逆鱗に触れると出入り差止めとなります。しかし、一行の英文も書けない(多分読めない)お歴々が押すハンコにどれだけの意味があるのでしょうか。昔はこういうハンコをblind stampと言ったものです。企業も含めて日本人が国際舞台で活躍できない原因はこの辺にありそうです。

本件の場合の中間日本語は私の頭の中にあって原稿として表にはあらわれていません。この思い切った編集ができたのは、私はこの件の代理人(責任者)で、完全に任されていたからです。私は、国内出願の準備のために工場に出向いて発明者に会って話しを聞き、現物を検証し、資料をもらって先ず日本出願を行い、それに基づいて外国へ出願しました。その頃は、欧州特許条約(EPC)はなかったので、英国、西独(当時)に国別に出願手続をとり、米国にも出願し、3ヶ国いずれも特許獲得に成功しました。
       
3. 実例2件
【実例1】
発明の詳細な説明
 本発明はフラクションコレクターにおけるフラクション採取用受器の移送装置に関するものである。
 この受器移送装置は一般に液体クロマトグラフィーにおけるカラムから流出する液体や蒸留において冷却器から溜出する液体を分析用に一定量毎に分収するために使用される。
 この種受器移送装置としては各受器を直線状、同心円状あるいは渦巻状に配置する移送方式が最も一般的に実用化されているが、これら公知の移送方式では大きな据付面積を必要とすることや、受器の循環使用ができない等の欠点があった。
 近年これら公知の受器移送装置の欠点を解決し、据付面積が小さく、しかも全受器が循環的に移動できる移送方式が開発され、実用化されている。
 すなわち、この新しい移送方式による受器移送装置は、矩形の台座上に複数個の受器(試験官)を支持する多数の受器架を二列に配置するとともに相対向する隅角部に各一個の受器架が収容される空所部を残し、この空所部の横方向に位置する受器架列の最前段に位置する受器架を空所部に向けて各受器間の間隔ずつ横方向へ間欠的に移動させる横送り機構と、各受器架列を一個の受器架の横幅に相当する距離だけその配列方向(縦方向)へ移動させる縦送り機構を備えており、比較的小面積の台座上に非常に多数の受器(例、試験管)の配列を可能ならしめ、しかも全受器が循環的に移動できるようになっている。
 しかしながら、現在実用化されている上記の受器移送装置は、横送り機構と縦送り機構の構造が複雑で、幾つかの電動モーターと梃子およびカムを必要とし、制作費が高くつくのみならず装置全体の重量が大となり、また可動部分が多いため故障を起こしやすい難点があった。 本発明は上記受器移送装置を改良してその横送り機構と縦送り機構の作動機構を著しく簡素化し、一個の電動モーターと一枚のカム盤により前記送り機構と縦送り機構を作動するようになしたものである。
 本発明の目的は、上記受器移送装置の移送機構をできるだけ単純化し、構造を簡単にして装置全体を軽量でコンパクトに成し、かつ機械的可動部分をできるだけ少なくして使用上の信頼性を向上できる受器移送装置を提供することにある。 ― 以下略 ―

【実例2】英国特許
  The present invention relates to a fraction dispenser for dispensing predetermined measured quantities of sample into receptacles.
  More specifically, the present invention is concerned with improvements in a fraction dispenser, and provides an improved faction dispenser incorporating a simplified device for shifting receptacles to accept delivery of predetermined amounts of liquid, resulting in compact construction, stable operation, and trouble-free maintenance.

 ここから直ちに本文に進んでいます。【実例2】は非常に簡潔ですが、【実例1】に相当する部分で両者はイコールの関係にあります。決して簡略化したのではありません。外国にはこれで十分と判断した結果です。

4. 従来技術の書き方の問題点
一般論になりますが、明細書の導入部分はむつかしく、高度な英語力が要求される箇所です。日本企業の明細書の欠点の一つは、従来技術の説明が詳し過ぎる点です。“詳しい”と言うと聞こえはいいのですが、従来技術の把握そのものが主観的・恣意的で、しかも説明の英語が貧弱となると読むに耐えないものになってしまいます。それよりもなによりも、詳しければ詳しいほど特許発明と重なる部分が増えるおそれがあります。発明といっても所詮は従来技術と紙一重、そうなると、余程注意しないと従来技術が発明にオーバーラップしてしまいます。その結果、権利無効でないまでも限定的に解釈されて侵害をみすみす逃すことになります。稟議のハンコなどなんの意味もありません。

5. 従来技術の書き方の一案
従来技術の問題点(欠点)は構成からくるのでそれは発明の詳細な説明の中で出願の発明と対比して軽く触れるのがいいと思います。そうすれば拒絶の根拠となる先行技術(prior art) とされる危険は回避できますし、発明の特徴が鮮明になって説得力も増します。その場合は直近の先行技術に限ります。あれもこれもというのは避けるべきです。

6. 言葉の内包の活用
本件に戻りますと、フラクション・コレクターという物自体は、公知公用(within the public domain )の技術です。そういう公知のことを読みづらい下手な英語でくどくど書けば読み手にとっては煩瑣この上なしで心証が悪くなります。できの悪い学生の論述答案を採点するようなもので一行読めば合否は決まってしまいます。特に、日本文の逐語訳では外国人には通じません。

日本語ではフラクション・コレクターですが、英語ではFraction dispenserになっています。英国の代理人がcollectorをdispenserに変えたのですが、適訳だと思います。Dispenseは「分配する」という意味ですから、この装置の正体はこの一語で出ています。言葉の選択の重要なところです。簡潔な英文を書くには、言葉の内包を重視し、生かすことです。

7. 文章の切れ味は説得の武器
読み手が知りたいのは、従来のフラクション・コレクターの問題点です。この導入部分ではそれさえ認識させればいいのであって初心者向けの教科書の役目までつとめる必要はありません。本件は先行技術の文献表示がない事例になっていますが、もしあったら、現在なら「文献参照による合体(incorporation by reference)」 (米国審査便覧608.01[p])を使うことができます。この実務は欧州出願でも使えます。

日本の企業はこの「文献参照による合体」をあまり使わないようですが、それは翻訳料計算の基礎となる語数が減るからではないかと思っています。米国出願では、出願発明と先行技術との関連性が強いと思うものについてはIDS(情報開示宣誓書)で説明しますので明細書では簡単に済ませることができます。

8. “鏡のごとき翻訳”の妄想
優先権証明書の翻訳やPCT翻訳で話題になる“鏡のごとき翻訳”を言葉一語一語の対応(word-to-word correspondence) と考えている人が多いのですが、真意はconceptual correspondence(概念の一致・意味の一致)です。どうもこの辺は、日本の伝統的英語教育の弊害ではないかとも思います。意味(概念)から英語を起こす思考法を教えないと英語は勿論、論理的思考力や分析的思考力が育つことはありません。

                                           (弁理士 木村進一)
                             「特許評論」は登録商標(第4556242号)です。

by skimura21kyoto | 2007-11-27 13:35  

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