概念から入る翻訳術 -和文直訳英語の病理と弊害

“波騒ぎは世の常である。波にまかせて、泳ぎ上手に、雑魚は歌い雑魚は踊る。
けれども誰か知る百尺下の水の心を、水のふかさを”    -吉川英治 「宮本武蔵」

はじめに
 2年前のことですが、米国の代理人から次のようなブログが出回っている、とその転送を受けました。書き手は米国特許庁の審査官です。怒りがおさまらん、という調子で書いています。批判の対象は日本企業からの英文特許明細書で、翻訳にもっとお金をかけよ、もっと米国の特許実務に従い、英語として読めるように明細書を作成せよ、と言っています。

DOES ALPHA NEED BETER JAPANESE-TO-ENGLISH TRANSLATORS?
When I am on my tirade, let me give all Japanese applicants some advice:
Spend more money on your translators and have your American patent attorneys review the application to ensure that it conforms to U.S. patent practice and reads in idiomatic English. This advice should be particularly needed by Alpha.
【注】 tiradeとは”a long angry speech”のこと。なお、文中の”Alpha”の箇所は実名があがっているのですが、ここでは伏せておきます。大手の電気機器メーカーです。この苦情はAlpha社だけについてではなく、最初にあるようにall Japanese applicants (すべての日本出願人)が対象になっています。

 これとは別に米国代理人が、日本企業の米国特許は“武器にはならず、精々箒の柄”だと書いていたこともあります。猫を追っ払うのが関の山というところでしょうか。これは何故でしょうか。こういうことを言うと、“お前は売国奴か”と、激怒する人が多いのですが、激怒する人は今までに英語を読んだことも、書いたこともない人達です。結局、英文明細書を翻訳する人のレベルが問題ですが、それを取り巻く環境も大いに関係しています。こうした批判は特許実務界ではタブ-―となっています。俗にいう、“臭い物にはふた”です。

上記のブログでは日本企業はもっと翻訳に金を使え、と言っていまが、日本では翻訳料は値切るものと相場がきまっています。日本語の字面を英語の字面にするのになんでそんなに高いんや、と思うようです。特許明細書は、最終的には法廷に出る文書であり、米国ではロー・スクール出身者が扱う分野です。今、日本で英語ができると自称する100人の人に“主張を伴い、価値を問う”テーマ、いわゆる“大人のテーマ (adult theme)”について英語で文章を書かせたらおそらく大半は意味不明で内容把握までいかないのではないでしょうか。特許明細書などは正に“大人のテーマ”です。欧州特許庁の審査官の言葉ですが、日本企業の明細書はポイントレスで、なにが言いたいのかよく分からないので読むのに時間がかかる。そのためどうしても後回しになると言っていると、親しい英国の弁理士がアドバイスしてくれました。

武器にならない紙屑的英文明細書の元凶は、企業でしょうか、特許事務所でしょうか、それとも日本の教育制度でしょうか。教育制度にあることは確かですが遠因過ぎます。矢張り、校閲して署名 (review and understand) し、金を払う企業側にあるのではないかと考えます。“こんな英文当社の名前で出せるか!”と一喝する企業知財部はありません。要は、和文の字面がそのまま英語の字面になっておれば万事OKの世界です。翻訳は意訳だと思いますが、意訳の意味の分かる特許実務者は稀有です。無責任ともいえます。受験英語に凝り固まった人には、意訳などされたら判断の仕様がなく不安でしょうがないというところでしょう。意訳は概念構成が基本となりますが、これは高度な知的作業の結果です。How to see beyond the face of the letterですが、それができる翻訳者がいない、というより育っていないというのが実情です。その辺に日本の英語教育の欠陥があります。字面合わせの受験英語(偏差値英語)ではどうしょうもないというところです。概念(意味)を捉えると、表面の字面はなくなりますから、チェックするときに面食らうわけです。そのとき会社勤務者特有のrisk aversion(危険回避)感覚が働きます。折角英語らしい文章を書いても評価できず、“なんだこれは”ということになり元に戻されてしまいます。猛省を要しますが、猛省できるには実力が必要です。猛省どころか反省の気配もないのは、結局、英語力がないからです。本物の英語力がなければこの異状さは永久に続くことになるでしょう。TOEIC何百点で解決できる問題ではありません。

マーク・ピーターセン著「日本人の英語」(岩波新書)にこんな例があがっています。
Drag out an antenna, pinching it between one’s finger.
 この英文は典型的な日本人英語です。原文は、多分、「アンテナを指でつまんで引き延ばして下さい」とあるのでしょう。実に忠実に英語化しています。著者によれば、この原意は、Pull out the antenna .となる、と書いています。同感です。しかし、これが日本では通らないのです。“アンテナを指でつまんで”が訳されていない、と文句がきます。その点を説明すると、“あの翻訳者をはずせ!”となり、以後出入り差止めとなります。楯突いたからです。特許実務界は“高慢と偏見”の支配した妙な世界です。企業トップはなにかというと、特許の世界戦略などと景気のいいことを言いますが、実態はこんなものです。紙屑的特許でなにが世界戦略かと笑えてきます。

雑魚の奢り  
冒頭の吉川英治の言葉を借りると、世の中には、百尺下の水の心を、水の深さを知ろうともしない雑魚(ざこ)が多過ぎるように思います。ここでいう「水」とは、「英語という言語を支える文化」を意味します。言葉は文化の所産であり、言葉の意味には文化的根拠があると思います。このことから、英語を職業的に扱いながら、言葉を生み出す文化の深層に触れようともしない人間は雑魚と呼んでいいのではないでしょうか。そういう雑魚が特許実務界を含め英語を扱う世界には多過ぎます。

 志村史夫氏は、『体験的・日米摩擦の文化論』(丸善ライブラリー)の中で「究極的には英語をできる限り『英語の風土』、『英語の文化』の中で考えることが大切である。そのためには英語そのもの以外に、それらの風土、文化をより多く、より広く学ぶ努力も不可欠ということになる」と述べておられますが、「水の心、水の深さ」を知る努力のことだと理解しています。

私の経験では、最初に発明があるのではなく、最初に言葉があります。言葉なくして発明は認識できません。その言葉はその国の文化の所産であり、したがって言葉の意味は文化の制約を受けます。発明者(企業)は発明、発明と騒ぎますが、発明者のいう発明と、特許として表現された発明とは必ずしも一致しません。まして、英語という外国語となりますと、一致させるのはきわめて困難です。雑魚のできる仕事ではありません。仮に、一致させる程達意な英文が書ける翻訳者がいたとしても、上で述べたように企業や特許事務所に巣くう雑魚がそれを帳消しにしてしまうという日本特有の社会的風土(人間関係といってもいい)があります。これが紙屑的特許を作る原因の一つになっています。しかも悪いことに、そういう人達にとっては紙屑でもなんでもいいのです。要は、無事に特許証がおりれば、その先の法廷闘争のことなど誰も考えていません。特許など簡単に取れます。取れてからが問題です。英米では特許権などの無体財産権は、Choses (things) in actionといいますが、actionという言葉があるように裁判をすることで享受できる権利です。他方、動産、たとえば、書籍や宝石のような有体物の財産権はChoses (things) in possessionですから占有(possession)することで享受できる権利です。無体財産権は占有(possession)では意味がないのです。もっとも、無体ですから物理的な占有はあり得ません。あるとすれば、抽象的な占有で、通常「精通していた」、「掌握していた」と訳しています。米国の判例にある”The inventor had possession of the claimed subject matter at the time of filing the application.”は、「発明者は出願の時点で特許請求された主題(発明)に精通していた」と訳します。非常に大事な判例理論です。(Vas-Cath v. Makurkar 事件 (Fed. Cir.1991)
【注】 "Chose" literally means "a thing." Traditionally, choses are of two kinds. Choses in possession are tangible goods capabple of being actually possessed and enjoyed (e.g., books and clothes), and choses in action are rights that can be enforced by legal action (e.g., debts or causes of action in tort). ("A Dictionary of Modern Legal Usage" by Bryan A. Garner, published by Oxford University Press)

言葉の意味が文化に根拠を置くことの例として「転石苔を生ぜず」の諺がよく引かれます。この諺では「苔」をどう解釈するかで正反対の意味となります。日本は苔を良きものと理解し、米国は錆と同様の悪しきものととる。そこから日本では転職は悪徳、米国では転職は有能の証拠とされます。鈴木孝夫著『ことばと文化』(岩波新書)にはこの種の例が多数挙っていて参考になります。次の文章もその一つです。
 It never rains but it pours.
訳は「降れば土砂降り」、「悪いときには悪いことが重なる」、「泣き面に蜂」などが当てられています。すべて不幸を意味しているところが日本的です。ところが本場英国では、幸・不幸を問わず出来事は重なるという意味で、「二度あることは三度」が適訳です。古い英英辞典には「出来事、特に不幸」という注釈がついていたとのことですが、現在はその注はなくなっている、と著者は説明しています。日本では雨に対しては否定的評価が一般的ですから上の訳語はいずれも意味が通じますが、旱魃に悩まされている地方なら福音の一文になるでしょう。そのことを頭にいれて英訳する必要があります。

自作ですが、こんな例も考えられます。
 He always wears a headphone stereo. She is always watching her cell phone.
主人公がかっこいい男性か女性か、そうでないかはヘッドフォン・ステレオや携帯電話に対する社会の評価によって変わってきます。日本では流行に乗るための三種の神器でも、国によっては悪魔の小道具として軽蔑の対象となります。こうした社会的、文化的背景を考慮しない英文は語法的には完璧でも現地の人には分からないという問題が起こります。上記英文の主人公を日本人は恰好いいものとして話を進めても、国によっては、“それがどうしたの”と主人公を軽佻浮薄の輩と理解するかもしれません。私の経験ですが、京都の清水寺周辺で、案内していた英国の弁理士さん(女性)に陶器でできた豆狸の飾りを“可愛いでしょう”の積もりで、”It is pretty, isn’ it?”と言ったところ、すげなく “ugly”と返されたことがあります。“ugly”とは醜悪ということで、狸は外国人には受けないことが分かりました。国際性を考えるならせめて豆狸には腰巻くらい締めた方がいいのではないかと痛感する次第です。こんな些細なところにも文化の違い、感覚の違いがあります。

和英両語の齟齬は、文書にしたとき潜在していて後日肝心の時に顕在し、そんな筈ではなかった、となります。外国の特許庁からもらう拒絶理由通知や外国での裁判がいい例です。語法的に完璧でも意思疎通を欠くことになり、こちらの主張が通らないことになります。冠詞一つでもネイティブの思考回路は狂うことがあります。慣用を間違えた言葉は致命的となります。特許や契約文書のような表見主義が支配する世界では救いようがありません。

 身近な例を一つ。商標の機能の一つは「商品または役務の品質保証」です。英訳するとき「保証」とありますから翻訳者は躊躇なく”guarantee”としますが、”guarantee”は瑕疵担保責任(無償の修理や取替)、少なくとも「約束」・「確約(assurance) 」のことですから商標が商品や役務をいちいち“guarantee”していたら企業はもたないことになります。英語ネイティブにとってこれは誤解を招くもとになります。商標の本当の機能は、“identify(識別)”です。すなわち、商標には、「商品または役務の品質の識別」機能があります。今使っている洗濯機がいいから今度買うテレビは同じマークの製品にしようという判断の手がかりとなるのが商標です。その意味では商標が品質を保証するということはできますが、その保証は、判断する需要者の心にあってメーカーが保証するというものではありません。

 志村史夫著『理科系の英語』(丸善ライブラリー)によりますと(27頁)、ネイティブに通じない英語とは、次の場合です。
(1) 何を言っているのかよく分からない、
(2) 何を言おうとしているのか相手に通じない、
(3) だいたい言っていることは分かるが、何がポイントなのか分からない、
(4) 真意が分からない、
これは1989年11月にある所で開かれた「なぜ日本人は英語が下手なのか」と題するシンポジュームで紹介された外国人のコメントだそうです。20年程前の話ですが、今も変わっているとは思えません。そもそも英語教育そのものが相変わらずの受験英語なのですから変わりようがありません。

追記
冒頭の吉川英治の言葉を英訳してみました。
Life is the sea where the ups and downs of waves are common with small fry gaily and shrewdly getting along through the choppy water. However, can they ever know the serenity and depth of the water a hundred meters below?
                                           (弁理士 木村進一)
                            「特許評論」は登録商標(第4556242号)です。
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by skimura21kyoto | 2008-04-18 15:49  

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