特許英語の難しさ・怖さ - “たかが前置詞、されど前置詞”

CAFC (03-1279) 2004年2月20日判決

【注】CAFCはThe United States Court of Appeals for the Federal Circuit(連邦巡回区控訴裁判所)の略。特許その他知財事件を扱う特別の裁判所。巡回(circuit)という名前は、昔裁判官が巡回して事件を担当していた頃の名残で今は巡回などしていない。陪審は事実認定をおこなうものなので、法律審である控訴審では陪審はつかない。

1. 事案の概要
(1) Chef America, Inc(原告[控訴人])は、Lamb-Weston, Inc(被告[非控訴人])が米国特許第4761290号(以下、’290特許)を侵害するとしてコロラド州連邦地裁に訴えました。本件特許クレーム1は次の一項を含んでいました。
”heating the resulting batter-coated dough to a temperature in the range of about 400°F. to 850°F.” for a period of time ranging from about 10 seconds to 5 minutes to first set said batter and then subsequently melt said shortening flakes, whereby air cells are formed in said batter and the surface of said dough; and …”

(2) この文章中の”…to a temperature…” のtoの意味が争点となりました。
【訳者注】“batter-coated”のbatterは日本でいう“ころも”のことでbutter(バター)ではありません。

(3) 原告は、“この一文は、固練り生地を400度(F)~850度(F)の範囲の温度で加熱(heating)する。すなわち、オーブンの雰囲気温度をこの範囲の温度に設定することを規定したものである”と主張しました。これに対し被告は、“クレームの表現では、生地自体を400度(F)~850度(F)の範囲の温度まで加熱する意味になり、侵害とされた方法はその点で異なる”と反論しました。第1審は、被告の主張を採用して非侵害と認定しました。原告はこれを不服としてCAFCに控訴したのが本件です。
【訳者注】華氏400度~850度は摂氏に換算すると200度~450度となります。いづれにしても高温です。

2.第1審裁判所の意見
(1) ”to”の解釈 toを通常の意味(ordinary meaning)に取れば、生地を400度(F)~850度(F)の範囲内の温度まで加熱する、と読める。クレーム1の文章は一義的で(unambiguous)、この表現では迷うことなく加熱対象はオーブンではなく生地である。また、発明の詳細な説明でも生地を400度(F)~850度(F)の範囲の温度まで(to)加熱すると記載しており(明細書3欄61行)、出願経過書類(包袋)を見ても、特許権者はクレームの温度条件を起草するに当たって、意図的にatよりtoを使ったことが分かる。さらに、先行技術との比較においても、クレームが生地を400度(F)から800度(F)の範囲の温度まで(to)加熱することを要すると解釈せざるを得ない、と結論しました。
【訳者注】 前置詞toは到達点を表し、atは広がりをもたない時点や地点を意味することは英文法の初歩的知識です。

(2)特許庁の判断 特許庁の審査官は、最初、特許法112条第1項に従い実施可能要件欠如(non-enabling)を理由にすべてのクレームを拒絶しましたが、特許権者はクレーム1と8に、”a temperature in the range of about 400°F. to 850°F.” for a period of time ranging from about 10 seconds to 5 minutes”という限定(limitation)を付加して拒絶を克服しようとしました。

(3) 原告の主張に対する第1審の判断 原告は、“もし本件特許が、裁判所が解釈するように、生地を400度(F)~850度(F)の範囲“まで”加熱しなければならないとすれば、生地は炭(charcoal briquet)みたいになりあり得ないことだ。”と反論するが、裁判所は原告が主張する意味になるようクレームを書き直す(rewrite)ことはできない。原告は、出願の時点で、原告が希望する意味に解釈できるように明細書を書くことはできた筈である。明細書を書くことは特許権者の仕事であり、裁判所の仕事ではない。そうである以上、被告に有利に判断せざるをえない。

(4) 実施例は”at”の表現になっている:明細書には二つの実施例があがっていますが、いずれも“baked for 2.5 to 3.5 minutes at temperatures ranging from 680 to 850 degrees F. …(680度(F)~850度(F)の範囲内の温度で(at) でベーキングされる…)”(第4欄50、66行)とatを使っており、ここでの温度はオーブン内の雰囲気温度と読めます。

(5) 発明の効果の既述について:本発明の効果を実現するためには、“生地を400度(F)から850度(F)の範囲内の温度まで(to)、生地の種類に応じて10秒から5分間手早く加熱する(quickly heating)”とあり(第3欄56-66行)、その場合の温度は、生地をオーブンに入れるときの温度(the temperature at which the dough is introduced into the oven) だと、説明しています。

(6) その他のクレームについて:クレーム8においても生地を400度(F)~850度(F)内の温度まで(to)加熱するとしています。

(7) 文言侵害か均等侵害か:原告の上記主張に対し被告は、“固練り生地を’290特許が規定する温度範囲まで(to)加熱することはしなかった”と主張し、立証しました。したがって、文言侵害(literal infringement)は起っていません。均等物の存在は被告の実施方法には認められませんでした。

(8) 特許権利者(出願人)の記載ミスか否かについて:原告は、明細書起草において、で(at)ではなくまで(to)を使ったのは起草者のミスであったという主張はしていません。特許権者はこのようなミスは、特許法第255条に基づく特許庁発行の訂正証明書(certificate of correction)によっても、または地裁への起訴手続きにおいても(例、Novo Indus.v. Micro Molds Corp.)訂正できた筈ですが、いずれの方法も取っていませんでした。それどころか、原告は、まで(to)は、で(at)を意味すると解釈しなければ本件発明方法は、所期の機能を果たすことはできないと専ら主張しました。しかし、裁判所が曖昧なクレーム表現を出願人に代わって書き直すことはできません。

(9) 専門家の鑑定意見:原告は、ベーキングの専門家であるLehmann氏(Director of Baking Assurance of the American Institute of Baking)の鑑定書を提出しました。鑑定人は、クレーム1及び8の表現は、ベーキング業者にとっては、ころもを被覆した固練り生地を400度(F)~850度(F)範囲の温度に設定したオーブンに入れて加熱する意味に読む、と述べました。さらに鑑定人は、二つの実施例の記載の”at”を取り上げ、自説を裏付けました。しかし、第1審は、Lehmann氏の証言はクーム用語自体の読み方ではなく、ベーキング業界の常識を述べただけで、本件クレームのtoをatに解釈しなければならない必然性を説明していないし、ベーキング業界の当業者はそう解釈するのが常識だということも証明していない、としてLehmann氏の証言を採用しませんでした。

2.CAFCの結論
控訴審も、第1審同様、裁判所が出願人に代わってクレームの書き直しなどはできないという意見であり、よって、被告は’290特許を侵害していないとする第1審判決を肯定しました。

【この判例から学ぶもの】
 前置詞はむつかしい。本事案は英語国民でさえこんな間違いを起こすという一例です。前置詞とは、名詞・代名詞の前に置いて、その語の動詞に対する文法的関係(特に格関係)や意味的関係を表す品詞です(広辞苑)。本事案のtoとatの問題に似た例では、onとabove (over) の混同があります。和文に「~の上の(に)」とあると、三つの前置詞on、above、overが考えられますが、意味は異なります。onは表面に“接触して”を意味し、aboveやoverは“離れて”を意味します。さらにonは上面、側面、底面を問わず“接触”しておればそのすべてを含みます。aboveもoverも共に「~の上に(の)」を意味しますが、onとabove (over)ではtoとat同様発明の構成は違ったものになります。本事案をみていると、ドイツの俗言”The devil lurks in the details (悪魔は細部にひそむ)”を思い出します。特許英語、特に英文明細書起草のむつかしいところです。           (弁理士 木村進一)
               「特許評論」は登録商標(第4556242号)です。

【注】以上の記事は私が弁理士会の国際活動センター部員として平成18年に日本弁理士会発行のJPAAに私の名義で発表したものをブログ用に編集したものです。
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by skimura21kyoto | 2008-02-25 21:28  

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